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”戦場から逃げ出したパリスを責めるヘクトール” アンゲリカ・カウフマン作 国立西洋美術館所蔵

 縦長の長方形のカンバス。画面全体には6人の人物が描かれている。中でもスポットライトを浴びているのが、中央部にいる三人だ。弓を持った青年がその中の中央に座り、騎士風の姿をした同じくらいの年嵩の青年がその右に立ち、ローブをまとった、これも同じくらいの女性が少し体をねじらせた状態で、弓をもった男性の左に立っている。弓を持った青年は、力を抜ききった状態でだらしなく座っており、それを、騎士風の青年が責め立て、女性もそれに加勢するような姿勢をとっている。タイトルから察するに、弓を持った青年が戦場から逃げ帰ったパリスで、その横にいてパリスを責めているのがヘクトールであろう。だとすると、この女性は誰だろうか。ヘクトールに加勢しているところからみるに、たぶんヘクトールの妻ではないかと思う。
この出来事が繰り広げられている場面は、たぶん市民の休憩所か何かだろう。画面の端ではお香がゆっくりと煙をあげている。服装から見るに季節はたぶん春から夏にかけてのいつか、時間としては昼食を終えたあたりだろうか。照りつける西日が中心人物にあたっている。
 パリスは諦めの混じった笑いを浮かべながら、その奥では自分の無力さを恨んでいるような様子である。そしてヘクトールは、厳然とした表情で、指を、今しがた自分がパリスを連れ戻すために舞い戻ってきた戦地の方向へと向けている。そう、ヘクトールは今しがた戦地から帰還したばかりなのだ。彼の服装は、兜に鎧風の衣装、そして動きやすそうなサンダルと明らかに戦場にいる戦士のそれである。それはパリスの服装と比較してみると、よりはっきりとわかる。彼の服装は一見するにゆったりとした羽織と皮製の靴で、戦場で動き回るには少し不便な格好と言うほかない。ということはつまり、パリスはだいぶ前に戦地から戻ってきていたということになる。老人が杖に頼るような格好で弓に体重を任せる彼の姿勢からは、もはや戦意など感じられない。果たしてパリスはこの後、戦場へと戻るのであろうか。それはよくわからない。
 この絵で目を引く点は、まだある。それは、ヘクトールの妻と思しき女性である。彼女もヘクトールと同じくパリスを責めているとはいえ、彼の険しく必死な表情と比べると、彼女のそれは同じく必死ではあろうがあまり険しさは感じられない。彼女の必死さは、よくもまぁ面倒なことに巻き込んでくれた。お前がいなければ私が夫にいちいちいわれることはないのに。といったように、パリスが戦場から逃げ戻ったことを責めることからではなく、ただただパリスが消え去って面倒ごとが自分に降りかからないように願うことから発しているように見える。
 それに加えて、この絵にはもう一つ面白い点がある。それは、中央でスポットライトを浴びる三人の影にいる、もう三人の女性の存在だ。一人が手前に、あとの二人は三人の奥、ひさしのかかったところにいる。パリスは、ヘクトールがくるまでおそらくこの三人の女性と、もしかしたらヘクトールの妻とすら、談笑を交わしていたのだろう。奥にいる二人の女性は、パリスが二人から責められている姿を見てなにやら大変なことが起こっているのかもしれないというような表情を見せている。彼女たちの明日の話の種は、この情けないパリスのことになるのであろう。そして、手前にいる女性はそんな出来事にもわれ関せずといった感じで、自分のやるべき仕事に取り組んでいる。この対比がまた面白い。パリスのことよりも、今やるべきなのは自分の雑務なのだ。
 国としての重大事である戦争を放り出して逃げ戻ったパリスとそれを責めるヘクトール。彼らは一応なりにも戦争の重要さを理解しているのだろう。一方、後の四人は戦争よりも自分のことが大事であるように見える。これはつまり、国の存亡にあっても女性が大事とするのは家庭ということを意味するのだろうか。